峻岳の詩吟うん

 

7言律詩  「合戦川中島」と角光嘯堂



  合戦川中島 角光嘯堂

 千曲の川霧犀川の雨
  松籟吹き荒ぶ西条山
 暁天に雲を呼ぶ川中島
  雄心堂堂両雄の戦い
 竜虎相搏つ阿吽の策
  十年の一剣堅塁の間
 三尺の氷刀陣頭に冴え
  一髪の流星興亡の剣

  
 
【詩 形】七言律詩

【語 釈】
暁 天     暁の空
雄 心    「大いにやるぞという、張り切った気持」の意の漢語的表現
両雄の戦い  この一戦に謙信は上杉家の興亡を賭け車懸かりの戦法で武田軍に
       迫ると、信玄も鶴翼の戦法で応戦した
竜 虎    竜と虎(りょうこ)互いにまさり劣りが無く、天下を二分する
       英雄 の意にも用いられる
十年の一剣  合戦が始まってから10年後の第四次合戦の大将戦
三尺の氷刀  三尺の小豆長光の太刀
一髪の流星  流星の飛ぶ光のごとく抜いた剣をひらめかせて切り下げた一太刀
興 亡    お家の存続と家運をかけた勝負時

【詩の心】
  前述の漢詩「題不識庵撃機山図」と全く同じ戦国時代の越後と甲斐の両雄、上杉謙信と
 武田信玄の戦いを詠んだ漢詩である。

【川中島へのアクセス】
  三重県方面から志賀高原に行く途中、上信越自動車道を「長野IC」を出て県道35号線
 を長野方面に進むとすぐ千曲川に掛かる松代大橋を過ぎると、すぐに篠ノ井バイパスの
 「古戦場入口」交差点に出る。この交差点の手前右手が現在「八幡原史跡公園」となってい
 る八幡社地がある。
  この八幡社は、山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡としてこの地に勧請したと伝え
 ている(『甲越信戦録』より)。

  ここから、犀川と千曲川との合流地点にある落合橋、屋島橋までの一帯の三角状の平坦地
 が川中島古戦 場である。
  内陸の長野市南郊のこの場所は春夏秋冬がはっきりし、秋は紅葉が綺麗でよく川霧が発生
 するところでもある。

【川中島の戦い】
  日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と
 越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権
 を巡って行われた数次の戦いをいう。
  主な戦闘は、計5回12年余りに及ぶが、実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、第二次
 の犀川の戦いと第四次のみであり、一般に「川中島の戦い」と言った場合、最大の激戦であ
 る第四次合戦、永禄4年9月9日~10日(1561年10月17日から18日)を指すことが多い。
 (他にも異説がある)

     第一次合戦 : 天文22年(1553年)
     第二次合戦 : 天文24年(1555年)
     第三次合戦 : 弘治3年(1557年)
     第四次合戦 : 永禄4年(1561年)
     第五次合戦 : 永禄7年(1564年)

  戦いは、上杉氏側が北信濃の与力豪族領の奪回を、武田氏側が北信濃の攻略と越後進出を
 目的として行われた。
  結果として両者共に目的を果たせなかったが、武田氏の支配地は着実に北上している。
   
力強く、感情をこめて詠じてみたい。








   

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