峻岳の詩吟うん


和歌 「嵐」と 賀茂真淵



          賀茂真淵        

 しなのなる
すがのあら野を とぶ鷲の
     つばさも たわに ふく嵐かな


 しなのなる すがのあら野を とぶ鷲の
     つばさも たわに ふく嵐かな

   
  【詩 形】和歌(短歌)

 【語 釈】 しなのなる:信濃(長野県)にある。「なる」は助動詞。存在を意味する。
       すがのあら野:須賀の荒野。現在、松本市南西の辺り。
              万葉集以来の信濃国の歌枕。
       たわに: たわむ(しなう、曲がる)までに。

【賀茂真淵】

 元禄10年(1697)~明和6年(1769)
 元禄10年(1697)3月4日遠江国(とおとうみ)敷智(ふち)郡浜松庄伊場村(今の浜松市中区東伊場)に生まれる。
 生家は京都賀茂神社の賀茂氏の末裔で神官岡部政信の三男として生まれた。父は岡部新宮の神官、定信。
 母は徳川家と関係の深い名家、竹山氏の出。国学者・歌人で、県居(あがない)と号した。
 11歳の時から荷田春満(かだのあずままろ)の姪で、浜松諏訪神社の大祝(おおはふり)杉浦国頭(くにあきら)の妻真崎(まさき)に手習いを学び、26歳の時、浜松の杉浦国頭家歌会で春満に会い、国学への目を開き学んだ。
 31歳のころに上京、春満に入門、詠歌・学問に励む。
 春満没後は江戸に住んで、50歳の時、八代将軍徳川吉宗の次男
田安宗武(たやすむねたけ)の和学御用となり、多くの門人を教え64歳で隠居、著述と門弟の養成に努めた。
 明和6年(1769)10月30日江戸で亡くなり、品川の東海寺に葬られる(73歳)。
 宝暦13年には大和に遊び、帰途伊勢松坂において本居宣長の入門を許すなど万葉主義の確立に努めた。この一門を県門県居派という。
 注釈書に『万葉考』、家集に『賀茂翁家集』がある。

【詩の通釈】
 
信濃の国の菅の荒れた野を飛ぶ鷲の、翼もたわむほどに激しく吹く風であることよ。

【参 考】
 ◆
『万葉集』巻十四「信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり」(3352)の影響を受けた、調子の高い歌である。
   強く大きい鷲と、荒涼たる荒野と、烈しい風の吹き寄せる嵐とが重ね合わさって、力量感みなぎる一首となっている。題詠歌であるが、大景を直線的な声調によって詠出。
 真淵の代表歌とされる。 

大きな鷲と、荒涼たる須賀の荒野と、烈しい風の吹き寄せる嵐とを
直線的に力強く吟じたい。

  譜 面







   

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