峻岳の詩吟うん

 

和歌 「大和ぶり」と佐佐木信綱



   大和ぶり   佐佐木 信綱

  
ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の
    塔の上なる   一ひらの雲
   

  【詩 形】和歌(短歌)

 【語 釈】 ゆく秋:過ぎゆく秋、晩秋。
       薬師寺:奈良市西の京にある法相宗総本山。730年建造、天武天皇の勅願寺、
           金堂の薬師三尊は白鳳期の代表的仏像。
       塔 : 優美な水煙のレリーフのある相輪で知られる東塔。塔の高さは38m。
  

【佐佐木 信綱】

 三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)にて歌人で国文学者の佐々木弘綱の長男として生まれる。号は竹柏園。
 父の教えを受け5歳にして作歌。1882年(明治15年)上京。1884年(明治17年)東京帝国大学文学部古典講習科に進む。
 1890年(明治23年)、父と共編で『日本歌学全書』全12册の刊行を開始。1896年(明治29年)、森鴎外の『めざまし草』に歌を発表し、歌誌『いささ川』を創刊。また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体詩集『この花』を刊行。
 歌誌『心の花』を発行する短歌結社「竹柏会[1]」を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮など多くの歌人を育成。国語学者の新村出、翻訳家の片山広子、村岡花子、国文学者の久松潜一も信綱のもとで和歌を学んでいる。『思草』をはじめ数々の歌集を刊行した。
 1934年(昭和9年)7月31日、帝国学士院会員[2]。1937年(昭和12年)には文化勲章を受章、帝国芸術院会員。御歌所寄人として、歌会始撰者でもあった。その流れで貞明皇后[3]ら皇族に和歌を指導している。

 墓所は東京谷中霊園の五重塔跡近くにある。三男の佐佐木治綱も歌人だったが、父に先立ち1958年(昭和33年)に病没。孫の佐佐木幸綱も歌人で活動している(元編集者で、治綱の息子)。

 

【詩の解釈】
 ◆ 1908年(明治41年)秋がもう終わりをつげようとしている晩秋に、大和の国の古い御寺、   薬師寺を訪れたときの体験が踏まえられた作である。
 ◆ 6回も重ねられた「の」は、結句の「一ひらの雲」に向かって一種の弾力をつける効果がある。
 ◆ 「大和の国の薬師寺の」という第2句3句、の「や」の頭韻の反復も流麗な声調を生み出してい  る。さながらカメラアングルが東塔の裳階をゆっくりと見上げるように。
  「塔の上なる一ひらの雲」をクローズアップする映像的手法に、読者に愛唱される理由がある。 

うるわしい大和(奈良)の逝く秋を惜しむ気持と、
1300年の歴史を刻んだ古典的な味わいのする東塔、
その上にある一片の雲を通して感触する晩秋の空気を詠んでいる。
    
郷土の生んだ国文学者、佐佐木信綱の気持ちになって吟じてみたい




  譜 面







   

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